万人を照らす光が強くなり尚且つ安くなる状態を「世の中の進歩」という。
しかし光あるところ闇はあるもの、しかも光が強いほどにその闇は深いのだ。
逆にぼんやりと薄暗い部屋において、明るい部分と暗い部分とで大差ない。
格差とは先進的な世界でこそ大きくなるのが宿命なのかもしれない。
平成が終わった日本はテロとの闘いならぬ「無敵の人との闘い」の舞台となるのは結構前から予言されていたことだ。
進歩的な社会を照らす光からあぶれた者は同情も共感も得られず孤立する「怠惰な弱者」に落ちぶれ、闇を拗らせた挙句やがて無敵の人へと進化を遂げる。
世の中の構成員の多くは「勤勉な弱者」だろうが、彼らは意欲はあれども機能不全に陥った同胞には同情的だが怠惰なものにはまるで共感や憐れみを向けない…、そんな余裕はないと言い訳して自らの差別感情を正当化している。
失業率40%世界における失業者は恐らく無職であることで迫害されないが、失業率0.1%世界がもしあれば失業者はまず問答無用で社会から見下され排除されがちだろう。
世界は進歩するほどに闇が深くなるのは当然だという覚悟をしなくちゃいけないと思っている。
闇は見つけ次第解消されなくてはならない、この世の闇を根絶する、そのために進歩しなくてはならないというのはどこまでいっても幻想だ。
光は強くなればなるほど残った闇が以前より深くなる、そこに潜んでいて住人はより救いがたいモンスターに成り果てるであろう。
闇の世界に最適化した「無敵の人」は人類の差別感情が生み出した天敵にして、その多くは文武両道を兼ね備えた強敵だが、令和の時代以降において彼らが増えることはあっても、人類社会が進歩をやめない限り彼らの戦闘力は比例して増大するし絶滅することはまずないだろう。
原始人が根絶した天敵=サーベルタイガーのように森ごと焼き払えば無関係の者(≒無敵の人呼ばわりされた本来まっとうな人々)が巻き添えになるのは避けられないはずだ。
進歩的な社会は「冤罪」などという闇を許さない。
無敵の人を監視して密告し排除するため、社会が互いに疑心暗鬼となるのをよしとする考えが強者弱者問わず誰でも悪用できる冤罪量産システムでしかないのは考えればすぐわかることだ。
実現に時間がかかる上に副作用が大きすぎるパーフェクト監視社会の到来を願うよりも、最適化の名の下に脆弱化した価値ある人材が集う場所、あるいは人材本人の「防御力」を向上させるよう努力するほうが手っ取り早い上に抑止効果は確実に上がるはずだ。
なかなか完璧とは言えないとしても小学校のセキュリティ向上が好例だろう。
社会的に価値の高いソフトターゲットを狙いがちな無敵の人の理不尽な一撃を封じるには、監視社会ではなく自衛社会、これがもっとも現実的な落としどころかと私は考える。
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だから闇からの攻撃は突然の襲撃となる。
専門外の難問を、前準備無しに知っている前提で尋ねられるようなもんですかね。答えられない=大損、負傷、etc...
個人を徹底的に監視すれば防げはするが、某中国も裸足で逃げ出すディストピア国家の誕生に・・・。